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このブログについて

みなさん、こんにちは。ゆわぐいと申します。 このブログは、半ば自分の日記代わりではあるのですが、僕の日常を通して、ウィーンに住んでいるとこんな感じになるってのをお知らせすることを目的としています。 ゆわぐいは2003年から3年間と2011年から現在に至るまで2回のウィーン生活を送っています。ゆわぐいは生産性の低い仕事にかまけて遊ぶのが下手という典型的な日本人サラリーマンですので、大した記事はないとは思いますが、ガイドブックに載っていないようなウィーンの田舎生活が何となく伝われば幸いです。 作者のモティべーション維持のため、ご挨拶がわりに是非コメントをお願いいたします。 ではでは。





2006年1月31日火曜日

むひょー

 昨日は朝起きた時からすごい霧。気温はマイナス4℃くらいだったので、それほど寒くない(と感じてしまうところがむしろ異常?)。



Pict0001_19Pict0002_14   子供をスクールバスに乗せ、家に帰って窓の外をふと見ると、リスがちょろちょろ。アメリカほどじゃないしせよ、ウィーンにもリスがいて、うちの周りにも数匹いる。でも冬って冬眠しているもんだとばかり思っていた。動きが速いのでピント合わせがイマイチ。



Pict0004_10Pict0005_17   霧は時間が経つにつれどんどんひどくなり、オフィスに着く頃にはすんごい状態に。周りが全然見えない。23階のベランダから下を見てもかなり霞んでいる。



 



Pict0023_2Pict00232   気温はマイナス3℃くらい。そんで霧。となるとどういうことになるかというと、オフィスのベランダのタイルの間から顔を出している小さな雑木にも生意気に霧氷が付いている。





Pict0024  夕方になっても霧は収まることなく続く。東京に住んでいると霧にはあまり遭遇しないですが、ヨーロッパはすごいですね。でも結構霧は好き。なんとなく落ち着く気がします。でも毎日だとさすがに滅入るかなあ。



むひょー

 昨日は朝起きた時からすごい霧。気温はマイナス4℃くらいだったので、それほど寒くない(と感じてしまうところがむしろ異常?)。



Pict0001_19Pict0002_14   子供をスクールバスに乗せ、家に帰って窓の外をふと見ると、リスがちょろちょろ。アメリカほどじゃないしせよ、ウィーンにもリスがいて、うちの周りにも数匹いる。でも冬って冬眠しているもんだとばかり思っていた。動きが速いのでピント合わせがイマイチ。



Pict0004_10Pict0005_17   霧は時間が経つにつれどんどんひどくなり、オフィスに着く頃にはすんごい状態に。周りが全然見えない。23階のベランダから下を見てもかなり霞んでいる。



 



Pict0023_2Pict00232   気温はマイナス3℃くらい。そんで霧。となるとどういうことになるかというと、オフィスのベランダのタイルの間から顔を出している小さな雑木にも生意気に霧氷が付いている。





Pict0024  夕方になっても霧は収まることなく続く。東京に住んでいると霧にはあまり遭遇しないですが、ヨーロッパはすごいですね。でも結構霧は好き。なんとなく落ち着く気がします。でも毎日だとさすがに滅入るかなあ。



2006年1月30日月曜日

作曲家シリーズ(うそ) ベートーベンの散歩道

 モーツァルトに続き、今度はベートーベンである。



 昨日の日曜日、散歩をしようということになって、アパートから車で7・8分ほどのハイリゲンシュタット(Heiligenstadt)という地域、トラムD線の終点というか始発というかなんと言ったらいいか分からない所のすぐそばにある「ベートーベンの散歩道」に行った。近くにあるのにまだ行ったことがなかったのですよ、これが。



 ベートーベンの散歩道というからには、ベートーベンが散歩したんでしょうな。京都の哲学の道と同じようなもの?



Pict0029Pict0008_11   散歩道の名前はまさにベートーベン小路(Beethovengang)。シュライバー川という小川沿いの細い道。ちなみにドイツ語では小川のことをバッハ(Bach)という。そう、あのバッハのバッハ。ということはバッハは日本で言うと小川さんのようなものか。昔、司会者で小川洋という人がいたが、まだ生きているのか?それにこの散歩道はバッハではなくベートーベンであり、要注意(何に?)。



Pict0004_9  とことこ歩いていく。右手にはウィーンの森の麓のブドウ畑が迫っている。当然車両通行止めなので、ゆったりのんびり歩ける。



 



Pict0006_12  途中、エロイカ通り(Eroicagasse)にぶつかる。詳しい人はピンと来るはずで、このエロイカは化粧品の名前ではなく、エッチなイカという意味でもなく、ベートーベン作曲のエロイカという曲から来ている(はず)。ちなみに僕はピンと来ない人。



Pict0009_6Pict0014_6   ここのところの寒気のせいで、小川は凍りついている。夏はさらさらと流れているんだろうなあ。



 





 







  









Pict0016_5  道はくねくねと若干上り坂。先に行くにしたがって森が深くなり、道は細くなっていく。



 



Pict0017_7Pict0019_4   2㎞(くらい?)歩くと、ベートーベンルーエ(BeethovenRuhe。ベートーベンの休憩所)という広場が出てくる。ここで彼も休憩したんだろう。ここにはベートーベンの胸像がある。日本だったら絶対におみやげ物屋なんかがあって俗化しているはずだけど、ひっそりと静まりかえっている。静かにしていたいような所はそうさせてくれる、ウィーンのこういうところが好き。



Pict0021_3  道はさらに続くようなのだが、お腹もすいたので戻ることにする。気温はマイナス3~4℃くらいだけど、風もなく、冬の弱々しい太陽も出ていて、森の空気も相まって、何とも気持ちが良い。なんか呼吸をする度に体の中の毒素が出て行ってしまうような感じ。冬の晴れ間のとてもすがすがしいお散歩でした。



Figls13  そのまま昼食へ。グリンツィング(Grinzing)のはずれにあるレストランFiglに行く。ここは街中にある巨大なわらじシュニッツェルで有名なFiglmüllerの姉妹店。結構新しい店で、去年の夏に2回行ったことがある。その時は「ふーん」という印象だったのだが、メニューもちょっと変わったみたいで、今回は大変うまい。中でもルッコラのサラダ(こいつには小さなステーキが4枚も付いている!)とハンバーガーが秀逸。ハンバーガーといってもマクドナルドのような奴では当然なく、ちゃんとしたもの(値段もね)。肉にいい味が付いていて、焼き方もドイツ系ではめずらしく真ん中はちょっとレア状態でばっちり(ルッコラサラダのステーキもこんな焼き方)。アメリカやドイツなどいろんなところでハンバーガーを食べてきたけど、今までで一番おいしい気がする。あと、ここはビールが美味しいのが嬉しい。気持ちよい散歩の後だけに、普段は食の細い娘ももりもり食ってました。



 なんとも満足な日曜でした。



作曲家シリーズ(うそ) ベートーベンの散歩道

 モーツァルトに続き、今度はベートーベンである。



 昨日の日曜日、散歩をしようということになって、アパートから車で7・8分ほどのハイリゲンシュタット(Heiligenstadt)という地域、トラムD線の終点というか始発というかなんと言ったらいいか分からない所のすぐそばにある「ベートーベンの散歩道」に行った。近くにあるのにまだ行ったことがなかったのですよ、これが。



 ベートーベンの散歩道というからには、ベートーベンが散歩したんでしょうな。京都の哲学の道と同じようなもの?



Pict0029Pict0008_11   散歩道の名前はまさにベートーベン小路(Beethovengang)。シュライバー川という小川沿いの細い道。ちなみにドイツ語では小川のことをバッハ(Bach)という。そう、あのバッハのバッハ。ということはバッハは日本で言うと小川さんのようなものか。昔、司会者で小川洋という人がいたが、まだ生きているのか?それにこの散歩道はバッハではなくベートーベンであり、要注意(何に?)。



Pict0004_9  とことこ歩いていく。右手にはウィーンの森の麓のブドウ畑が迫っている。当然車両通行止めなので、ゆったりのんびり歩ける。



 



Pict0006_12  途中、エロイカ通り(Eroicagasse)にぶつかる。詳しい人はピンと来るはずで、このエロイカは化粧品の名前ではなく、エッチなイカという意味でもなく、ベートーベン作曲のエロイカという曲から来ている(はず)。ちなみに僕はピンと来ない人。



Pict0009_6Pict0014_6   ここのところの寒気のせいで、小川は凍りついている。夏はさらさらと流れているんだろうなあ。



 





 







  









Pict0016_5  道はくねくねと若干上り坂。先に行くにしたがって森が深くなり、道は細くなっていく。



 



Pict0017_7Pict0019_4   2㎞(くらい?)歩くと、ベートーベンルーエ(BeethovenRuhe。ベートーベンの休憩所)という広場が出てくる。ここで彼も休憩したんだろう。ここにはベートーベンの胸像がある。日本だったら絶対におみやげ物屋なんかがあって俗化しているはずだけど、ひっそりと静まりかえっている。静かにしていたいような所はそうさせてくれる、ウィーンのこういうところが好き。



Pict0021_3  道はさらに続くようなのだが、お腹もすいたので戻ることにする。気温はマイナス3~4℃くらいだけど、風もなく、冬の弱々しい太陽も出ていて、森の空気も相まって、何とも気持ちが良い。なんか呼吸をする度に体の中の毒素が出て行ってしまうような感じ。冬の晴れ間のとてもすがすがしいお散歩でした。



Figls13  そのまま昼食へ。グリンツィング(Grinzing)のはずれにあるレストランFiglに行く。ここは街中にある巨大なわらじシュニッツェルで有名なFiglmüllerの姉妹店。結構新しい店で、去年の夏に2回行ったことがある。その時は「ふーん」という印象だったのだが、メニューもちょっと変わったみたいで、今回は大変うまい。中でもルッコラのサラダ(こいつには小さなステーキが4枚も付いている!)とハンバーガーが秀逸。ハンバーガーといってもマクドナルドのような奴では当然なく、ちゃんとしたもの(値段もね)。肉にいい味が付いていて、焼き方もドイツ系ではめずらしく真ん中はちょっとレア状態でばっちり(ルッコラサラダのステーキもこんな焼き方)。アメリカやドイツなどいろんなところでハンバーガーを食べてきたけど、今までで一番おいしい気がする。あと、ここはビールが美味しいのが嬉しい。気持ちよい散歩の後だけに、普段は食の細い娘ももりもり食ってました。



 なんとも満足な日曜でした。



2006年1月29日日曜日

モーツァルト・ウォーク(その2)

 さて、昨日の続き。



Pict0028_2  ミヒャエル教会を出発し、コールマルクト(Kohlmarkt)を通ってグラーベン(Graben)に出る。遠くにちょっとグロテスクなペスト記念柱(Pestsäule)が見える。



 



Pict0034Pict0033_2   ここからアム・ホーフ(Am hof)に。モーツアルトは人生の約3分の1を旅で費やしたらしく、ウィーンに6歳の時に初めて来た時、ここのアム・ホーフ教会(Kirche Am hof)で演奏をしたんだそうな。その時に転んでしまい、助けてくれたのが当時7歳のマリー・アントワネット。その時に「将来結婚しよう」とプロポーズしたというのは有名な逸話らしい。僕は聞いたことがあるようなないようなって感じでしたが。



Pict0036  次はユーデン広場(Judenplatz)。ユーデン広場の周辺はモーツアルトが昔住んでいたというアパートがいくつかあるのだが、僕的にはあまり萌えない。ただここは名前のとおりユダヤ人広場で、第2次大戦中に殺された6万数千名の在オーストリアユダヤ人の慰霊の建物があり、当時オーストリアはナチスドイツに自ら進んで併合されたという忘れてはならない事実が浮き彫りになる。モーツァルトとの関係は無関係という関係しかないんですけどね。



Pict0040_1Pict0044   お次はペーター教会(Peterkirche)。実はここがモーツァルトにどう関係するのかは聞き漏らした。まあなんか関係するんでしょ。中ではミサが行われており、荘厳な雰囲気。





Pict0046Pict0047_2   そんでおなじみ、シュテファン寺院(Stephandom)。でもこのブログでは初登場。写真らしい写真を撮ったのも初めて。やっぱこのブログ、「ウィーンに住むとこんな感じ」ではなく、「ウィーンの田舎に住むとこんな感じ」に名前を変えた方がいいかも。なんともはや、バロックですねー。



Pict0049Pict0051   さてこのシュテファン寺院、モーツァルトはコンスタンツェと結婚式をここで挙げ、あと自信のお葬式もここで行ったというかなり密接な関係があります。シュテファン寺院の裏側にはモーツァルトが死んだことを示すパネルが設置されています(十字架の下のパネル)。パネルの手前には地下に通じると覚しき謎の階段が。地下のカタコンペにでも通じるのでしょうか?なんかおどろおどろしく、禍々しい雰囲気が漂ってきます。ここを降りていくと2度と地上に戻って来れない気がする。ちなみに、この下にはモーツァルトの遺体はないはずです(まあかなり謎の多い死でしたし、埋葬の仕方も異常らしかったらしいので、真相はわかりませんが)。



Pict0054  さて、ツアーもほとんど終わり。目抜き通りの一つであるケルントナー通り(Kärntner Strasse)沿いにシュテッフル(Steffl)という大きなデパートがありますが、実は昔ここがモーツァルト最後の住居で、ここで魔笛やレクイエムを書いたとのこと。デパートの7階にカフェなどと並んでモーツァルト関係の展示スペースがあります(なお写真はケルントナーからではなく裏道からのもの)。



Pict0058  最後に、シュテッフルの裏口から出て右手、Himmelpfortgasse沿いにあるCafe Frauenhuber。ここは昔は社交場のような所で、モーツァルトが公式の場で最後にピアノの演奏を行った場所。





 これでウォークツアーはおしまい。2時間半を氷点下5℃前後のところで過ごすというのはなかなか寒いだけでなく、体力も消耗するもの。疲れました。でも、普段街中にはあまり縁のない生活なので、貴重な機会でした。



モーツァルト・ウォーク(その2)

 さて、昨日の続き。



Pict0028_2  ミヒャエル教会を出発し、コールマルクト(Kohlmarkt)を通ってグラーベン(Graben)に出る。遠くにちょっとグロテスクなペスト記念柱(Pestsäule)が見える。



 



Pict0034Pict0033_2   ここからアム・ホーフ(Am hof)に。モーツアルトは人生の約3分の1を旅で費やしたらしく、ウィーンに6歳の時に初めて来た時、ここのアム・ホーフ教会(Kirche Am hof)で演奏をしたんだそうな。その時に転んでしまい、助けてくれたのが当時7歳のマリー・アントワネット。その時に「将来結婚しよう」とプロポーズしたというのは有名な逸話らしい。僕は聞いたことがあるようなないようなって感じでしたが。



Pict0036  次はユーデン広場(Judenplatz)。ユーデン広場の周辺はモーツアルトが昔住んでいたというアパートがいくつかあるのだが、僕的にはあまり萌えない。ただここは名前のとおりユダヤ人広場で、第2次大戦中に殺された6万数千名の在オーストリアユダヤ人の慰霊の建物があり、当時オーストリアはナチスドイツに自ら進んで併合されたという忘れてはならない事実が浮き彫りになる。モーツァルトとの関係は無関係という関係しかないんですけどね。



Pict0040_1Pict0044   お次はペーター教会(Peterkirche)。実はここがモーツァルトにどう関係するのかは聞き漏らした。まあなんか関係するんでしょ。中ではミサが行われており、荘厳な雰囲気。





Pict0046Pict0047_2   そんでおなじみ、シュテファン寺院(Stephandom)。でもこのブログでは初登場。写真らしい写真を撮ったのも初めて。やっぱこのブログ、「ウィーンに住むとこんな感じ」ではなく、「ウィーンの田舎に住むとこんな感じ」に名前を変えた方がいいかも。なんともはや、バロックですねー。



Pict0049Pict0051   さてこのシュテファン寺院、モーツァルトはコンスタンツェと結婚式をここで挙げ、あと自信のお葬式もここで行ったというかなり密接な関係があります。シュテファン寺院の裏側にはモーツァルトが死んだことを示すパネルが設置されています(十字架の下のパネル)。パネルの手前には地下に通じると覚しき謎の階段が。地下のカタコンペにでも通じるのでしょうか?なんかおどろおどろしく、禍々しい雰囲気が漂ってきます。ここを降りていくと2度と地上に戻って来れない気がする。ちなみに、この下にはモーツァルトの遺体はないはずです(まあかなり謎の多い死でしたし、埋葬の仕方も異常らしかったらしいので、真相はわかりませんが)。



Pict0054  さて、ツアーもほとんど終わり。目抜き通りの一つであるケルントナー通り(Kärntner Strasse)沿いにシュテッフル(Steffl)という大きなデパートがありますが、実は昔ここがモーツァルト最後の住居で、ここで魔笛やレクイエムを書いたとのこと。デパートの7階にカフェなどと並んでモーツァルト関係の展示スペースがあります(なお写真はケルントナーからではなく裏道からのもの)。



Pict0058  最後に、シュテッフルの裏口から出て右手、Himmelpfortgasse沿いにあるCafe Frauenhuber。ここは昔は社交場のような所で、モーツァルトが公式の場で最後にピアノの演奏を行った場所。





 これでウォークツアーはおしまい。2時間半を氷点下5℃前後のところで過ごすというのはなかなか寒いだけでなく、体力も消耗するもの。疲れました。でも、普段街中にはあまり縁のない生活なので、貴重な機会でした。